受け継がれる!『ブリューゲル』というブランド



今回は、150年にわたって画家を輩出し続けたブリューゲル一族についておはなしします。

まず、ブリューゲルという名を聞いて思い浮かぶのは、絵本のように素朴な農民たちを描いた「農民画家」ピーテル・ブリューゲル1世だと思います。

彼の画家としての才能は2人の息子達だけでなく、さらにその次の世代にも受け継がれていきます。

その結果、ブリューゲル一族は150年にわたって画家を輩出し続けたのです。

そして、“ブリューゲル”の名は、16〜17世紀の美術で「ブランド」となりました。

ピーテル・ブリューゲル1世(1525.1530~1569)彼の絵画の根本にあったのは、自然への関心でした。

ピーテル・ブリューゲル1世、ヤーコブ・グリンメルの

『種をまく人のたとえのある風景』(1557年)

画像元:http://art.pro.tok2.com/B/Brueghel/z032.htm

という作品があります。

元々、フランドル美術では、現実での写実的な描写への関心が高く、16世紀には風景画を専門とする画家も出ています。

しかし、ピーテル1世はそこからさらに一歩進んで、自然を冷静に観察し、描写するだけでなく、その自然の中で暮らす人々の日常生活をありのままに描いたのです。

また、ピーテル・ブリューゲル1世[下絵]

ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]の

『春』(1570年)という作品で、挨拶する者以外、自分の仕事に没頭し、皆が皆下を向いて作業している様子が描かれています。

この農民たちの勤勉さへの称賛、且つ親愛の情を込めた作品をピーテル・ブリューゲル1世は繰り返し描いていました。

その親愛の情は息子たちにも受け継がれていきます。

特に農民の祝祭の場面は彼らのみならず、17世紀フランドルで大いに好まれていきました。

ピーテル1世の死後、その人気は高まる一方でした。

17世紀になると、裕福な市民たちの間で絵画の収集が盛んになりました。

その手本になったのが貴族たちのコレクションであり、市民たちはそこに入るような名高い作品の安価な模倣品を欲しがりました。

もちろんピーテル1世の作品もその対象に含まれていました。

そのような市民のニーズに応えたのがピーテル1世の長男ピーテル・ブリューゲル2世(1564~1637.38)だったのです。

彼は父の作品の忠実な模倣品を制作し、次々と市場に送り出していきました。

ピーテル・ブリューゲル2世の『鳥罠』(1601年)

画像元:https://izi.travel/de/9b64-piteruburiyugeru-zi-niao-min-noarudong-jing-se/ja

という作品があります。

この作品の舞台はフランドルの農村で

・降り積もった雪

・葉は落ち

作品から冬の寒さを感じられます。

この『鳥罠』は、ただフランドルの冬の風物詩を描いただけの作品ではありません。

この絵の下の方の氷に大きな穴が開いています。

しかし、スケートに夢中になっている人々はそれに気づく様子がありません。

そしてこの絵の右側には、タイトルにもなっている鳥罠が描かれています。

この鳥罠は板と棒切れとで作られたもので、棒切れに結びつけられた糸を引っ張れば、板がその下で餌をついばんでいる鳥を押しつぶす仕組みです。

つまりこの絵は、スケートと鳥罠の2つとも、油断すると簡単に失われてしまう「命の不確かさ」を暗示しているとされています。

ピーテル1世は、冬の景色をモチーフとして取り上げた最初の画家だったと言われています。

子のピーテル2世が父の作品の模倣品を制作・流布させることでその名声は高まりました。それと同時に冬景色は風景画の独立した分野にまでなったのです。

ピーテル2世が生涯、父の作品の模倣品を作り続けたのに対して、次男のヤン1世(1568~1625)は、己の道を歩みました。

彼は父ピーテル1世の持つ自然への関心をさらに発展させ、“花の静物画”という新しいジャンルを切り開いた1人となりました。

『机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇』(1615-20年頃)

画像元:https://goo.gl/images/HqvWm1

ヤン1世が息子のヤン2世と共作した作品です。

ガラス瓶には、チューリップや薔薇など多様な花々があり、暗い背景の中で色鮮やかに描かれています。

その花々に目を奪われがちですが、ガラス製の花瓶の装飾や透明感だけでなく、花の上にとまったトンボや蜂といった虫たちも、細部まで写実的に描かれていますね。

ヤン1世は花の静物画を得意としたことから「花のブリューゲル」などと呼ばれ、人気を博していました。

ピーテル1世の2人の息子たちは、2人が幼い頃になくなってしまった父から直接教えを乞うことは出来ませんでしたが、

父の作品の模倣を通して彼は父ピーテル1世と触れ合っていたのではないでしょうか。

彼ら2人が同じ時代に揃っていたからこそ、「ブリューゲル」の名は、16〜17世紀において「ブランド」として強い影響力を持ったのだと思います。