三重県立美術館「柳原義達の世界」



柳原義達って?

柳原義達

(1910年~2004年)

彼は戦後の日本を代表する彫刻家です。
以前ご紹介したロダンの生命主義に強く影響を受けた彫刻家にひかれるようになりました。

 

1939年には新制作協会・彫刻部創立し、その後毎年制作展から出展するようになりました。

43歳で4年間インドにわたりそこで出会った彫刻家に大きな影響を受けます。

 

動物愛護協会から鳥の作品を制作するよう依頼され、鳥に大きな関心を抱くき、鳩や鴉を制作しました。

 

 

三重県立美術館での柳原義達展

今回は目県立美術館にて行われている柳原義達の展示のレビューをお送りします。

 

道標 鳩

1974年

まるで生きたブロンズ

 

柳原義達展

「呼吸するブロンズ」と題されているがまさにそのとおりである。

 

尾羽の広がりは繊細なラインと後方に向けての大胆な広がりにより、吸い込まれるような感覚に襲われた。

 

このブロンズ以下鴉などの作品は東部から垂直に見とりせんが落ちていることが特徴的だ。

 

(仔)山羊

(kid)

これは戦前の作品で焼失を免れた貴重な一つである。

石膏の中から骨組みがむき出しとなっており、現代的な侘び寂びの美しさを感じる作品となり他の作品とは別の色を見せていた。

 

風見の鶏

weathercock

画像元:https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/3019

 

1960年代半ばから柳原は彫刻の素材として注目を集めていたアルミニウムに注目している。

 

作品全体で1トンものアルミニウムを使用し、アルミ板を溶接して組み上げる柳原作品において珍しい技法を用いている。

 

窓際に設置されており差し込む光による光る眼それに魅せられ細かに組まれた鶏を見ることを強要されるようなインパクトがあった。

 

座る女

1958年

 

アカデミックな写実彫刻から解放しようという精神の見事さが称賛された作品。

 

表情豊かな足の裏と背中が特徴的で、抽象的であるからゆえ角度により受け取れる表情が違いストロークに目を奪われる作品であった。

 

最期に

「私はいったい何が起きているのか、良しにつけ、悪しにつけ、私は私の仕事一つ一つの記号を記さなければならない、自分なりに歩んだ記号をかいて歩むしかない。」

 

柳原義達

戦後彫刻の先駆者として生きた彼の言葉の重みを深く感じ、それに作品の繊細さに魅せられた美術展示でした。