実物を見る前に知って欲しい!『金閣寺』と『銀閣寺』の圧倒的な芸術性と歴史!

金閣寺と銀閣寺

誰もが知る日本を代表するお寺です。

知っているかもしれませんが、元々は別荘でした。

よく比較されるこの「金閣寺」と「銀閣寺」の違いや関係、放火や建設の歴史、圧倒的な芸術性をあなたは理解できていますか?

今回は、実物の「金閣寺」と「銀閣寺」を見る前に知っておいて欲しいことを紹介します!

ぜひ、この機会に「金閣寺」と「銀閣寺」について再確認してください!

 

金閣寺

良く知られている金閣寺という名前は一般的に寺院全体をさします。

金箔の貼ってある建物は正式には鹿苑寺(ろくおんじ)』と言います。

 

歴史

応永4年(1397年)に室町幕府3代将軍足利義満が土地を譲り受け、寺院を建設しました。

 

その後、応仁の乱で一部焼失してしまいますが桃山時代の僧、西笑承兌が復興に努め現在の金閣寺に近いものとなります。

 

金閣寺放火事件

昭和25年西笑承兌と同じ寺の僧の放火により全焼しました。

この事件は小説の題材にもされその当時一世を風靡しました。

犯人は学僧で裏山で自殺を図ろうとしたところを取り押さえられました。

 

彼は「世間を騒がせたかった」「社会への報復」などと取り調べでは述べていましたが、自身が病弱であることや重度の吃音症、実家の母からの期待、金閣寺の運営が参観料により成り立つため僧侶としての仕事ではなく事務作業が多かった事が混ざりあった複雑な心境であったと推測されています。

 

これには多く推測され、小説家の三島由紀夫「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」と推察し著書としました。

また母親が事情聴取のため呼び出されるが帰り道列車から飛び降り自殺していることも有名です。

 

「美」は人を感動させ幸せにもする一方で「妬み」を生み出します。

どちらも人生を左右することに変わりはありませんが・・・・

 

その後、昭和61年 文部省文化財保護委員会と京都府教育委員会で協議によって金閣再建が執り行われました。

平成6年に世界文化遺産に登録されています。

 

美の見どころ

まずは一番は金箔でしょう。

金色に輝くインパクトだけでも圧倒的な”美”といえます。

 

次にその作りです。

1階は、「寝殿造り」

これは都の貴族の住宅の様式です。

 

2階は、「武家造り」

文字どおり武家の住宅様式で実用的で簡素に造られます。

 

3階は、「禅宗仏殿造」

鎌倉時代初頭に中国から来た禅宗の造りです。

 

金閣寺すべての階層ごとに様式が違っています。

これは足利義満が公武の頂点に立つと暗示したものだといわれています。

様式を重んじたうえでその上に立つという暗示は素晴らしい連想を生み出していますね

 

夕佳亭

『夕佳亭(せっかてい)』とは金閣寺境内の東北にある茶室の事です。

夕佳亭から見る夕日の景色がいいことから「この茶室から見る方が特にい(よい)」夕佳亭となづけられました。

 

景色が良いとは主にどういうことか?

金閣寺が夕日に照らされる様を見ることができる絶好スポットだからです。

 

一番上の俳句の意味はここまでくるとわかりますね。

 

 

銀閣寺

こちらも金閣寺同様正式名称は、慈照寺(じしょうじ)』といいます。

 

歴史

 室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺(金閣寺)を模して造られた楼閣建築です。

文明5年(1473年)応仁の乱の直後で経済は疲弊しきっていましたが、臨時に税を取り立て造られたのが銀閣寺です。

 

美の見どころ

銀閣寺には銀箔が張られていません。

・応仁の乱の直後で経済的余裕がなく銀箔を用意できなかった

・そもそも銀箔を張る予定はなかった

など

 

諸説ありますが、木の静けさが演出される書院造、仏堂風、2つが質素とも思えるこの空間こそ、美意識である”侘び寂び”と呼ぶべきものではないでしょうか。

 

 

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10/21/2018