昭和の広重”川瀬巴水”の生き様!ジョブズが愛した画家

「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる川瀬巴水。

 

国内よりも海外での評価が高く、葛飾北斎や歌川広重などと並び評されるほどの人気があります。

Apple社の創業者スティーブ・ジョブズが愛し、作品をコレクションしていたといわれています。

 

生涯

1883年、糸組物職人の長男として生まれる。

幼い頃から絵を見るのが好きだった彼は、絵草紙屋へ行き、役者絵や武者絵をよく観ていた。

 

巴水は、14歳のときに画家を志す。週に一度だけ画塾に通ったが、家業を継ぐためやめなければいけなくなった。

 

しかし、彼の情熱はおさまりはしない

19歳のときに家業を継ぐことを条件にし、画家の荒木寛友に弟子入り。仕事のあいまを見つけては必死に絵の勉強をした。仕事を終えた後もランプの下で絵を描き続けた。そのため、目は弱視になったといわれている。

 

それから6年後、彼に転機が訪れる

父、庄兵衛の事業が傾きはじめたのだ。商才に欠けていた巴水は、妹夫婦に家を継がせることにした。そして再び、画家に対する情熱が高まっていく。

 

さっそく、日本画の大家である鏑木清方に弟子入りを志願する。

しかし鏑木から、「絵描きになるには年をとりすぎている」といわれてしまう。正式に入門できなかったものの、洋画を勧められ、洋画研究所に通うことに。

洋画家、岡田三郎助の指導のもとで洋画を学んだ。その間も日本画に対しての情熱はおさまらなかった。

 

2年後、再び弟子入りを志願

鏑木は巴水を受け入れた。巴水は挿絵や錦絵など、彼のもとで必死に修行した。その後、作品を出展したり、広告図案を描くことでキャリアを積んでいく。

35歳の頃、風景版画を目にした巴水は衝撃を受け、自分も手がけたいと思いはじめる。

 

1923年9月1日、関東大震災が起きる。これによって、写生帖188冊をはじめ、自身の画業の成果を失ってしまうことに

意気消沈していた彼は、浮世絵商の渡辺庄三郎に励まされた。その際、新たな旅に出ることを勧められる。

 

そして、10月22日から翌年2月2日まで生涯最大の旅に出かけた

この旅で描かれた数多くの作品は、今も残っている。

 

第二次世界大戦の苦難を経験しつつも、彼は日本の風景を詩情豊かに描き続けた。

1957年、胃癌のため死去。74歳だった。

 

当時の風景を見ることはできないが、巴水の見た世界は今も見ることができる。

 

 

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『思慮は深く、行動は大胆に』をモットーに生きる21歳。大学を中退し、中国やインドに放浪。現在は禅に傾倒している。